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  • 執筆者の写真RYO

香港での出店

しまった、なんか太陽酒場を作る時の話みたいになっちゃってる笑

途中で気づいてましたがなんの為にを書くとそうなっちゃうということですね。

長くなりすぎないように書きます!

※今回描きたいのはいざか家たいようを作った時の流れです笑

そして下界に戻ってきた。

僕は手っ取り早く資金を集めるのと、その道中もなにか役に立つことで道を探そうともう一度宮城に戻ろうとしていた。

次はボランティアではなく仕事で。

募集要項が出ていたので何件か応募して待っていた。

その間も日雇いのバイトをして少しでもお金を貯める。

そしてこの時仲間を集めていた。

一緒に店をやろうと。

最初はその時集まった3人で店をやろうとしていた。

そして待てども待てども宮城での仕事は答えが返ってこない。

どうしようかと作戦を練っていた。

そして僕はこの時にある人に会う。

そう、ごうさん。

たぶん前にこのブログで書いた時に居酒屋作る前に逢ったって話を書いたあのごうさん。

あれ?書いてるよね?笑

まあいいや、そのごうさんと、ここでお時間を作っていただいて話をさせてもらった。

湘南エリアで当時3店舗かな?

今では5,6店舗お店を運営しているごうさん。

居酒屋をやりたいんです。

教えてくださいと。

その時行ったのは自分ともう一人。

一緒にやろうとしていたうちの一人。

ごうさんはそんな僕たちに惜しげもなく話してくれた。

飲食はそんなに甘くない。

だけど本気でやったら面白いぞって。

いいところも大変だったことも全部、話してくれた。

すごいことだと思う。純粋にかっこいいなって思ったのと、こんなに本気で向き合ってくれる大人が他にもいるんだなという気持ち。貴重な時間をいただいた。

必ず態度に示して行動で礼を尽くそう。

そう思った。

話を聞いていて、自分はワクワクした。

やはりこの道が自分が進む道だなと。

だけど一緒にいた仲間は、この時ごうさんの話を聞いて、自分は飲食である必要はないかなと、この道を降りた。

しばらく経って、もう一人も降りた。

なにかがいけなかったわけではない。

人それぞれのタイミングがあると思う。

ただそれが合わなかっただけだ。

そして僕はこの時、ある出会いをまた経験する。

世界一周する前に紹介され、旅中もインドで再会しお世話になりった、うえはらさん。

姉の前職の上司の方だ。

もともと旅人なので、感覚が面白い。

何事も楽しんで生きている見本にしたい生き方の人。

そのうえはらさんからそのタイミングで、「りょーくん元気?今度うちでホームパーティやるからおいでよ」

とお誘いをいただいた。

ありがとうございますと行かせて頂き、旅から帰ってきてのここまでの話を話した。

するとうえはらさんに「紹介したい人がいる」

と紹介されたのがその会社のインドの会社の社長の息子さん。名前をミトゥという。

そのミトゥがここからお店をやろうとしているから一度会ってみたら面白いんじゃないかという話だった。

それは面白そうだなとその場で電話。

すぐに都内で一度二人で逢う約束をしてその日は終わった。

そしてそこから話は急発展。

僕は当時25歳。ミトゥはたしか一個下で24歳。

もうすでに自分で事業を成功させている社長さんだった。(飲食ではなかったけど)

そのミトゥが香港でこれからお店をやろうとしていると。

よかったら一緒に店をやらないかという話になり、僕はシンプルに面白そうだなと思いその話に乗った。

出店は次の旧正月を終えた2月終わりに香港入りし、そこからお店を作っていくという話にまとまる。

じゃあそれまでにできる限りお金を貯めるよ。

その時まだ宮城の話はきていなかった。

でもその話のすぐ後、宮城での仕事はなくなりましたと連絡がきた。

一刻も早くお金を作る必要があった。

だから僕は一番やりたくないとい思っていた居酒屋のバイトをすることにした。

なんでやりたくなかったかというと世界一周前に働いていたチェーン店の系列店に入ろうとしたからだ。

ここからノウハウのわからない新しいところに入るより、他の業態であるにしても一度属していた場所のほうが仕事を覚える必要もなくすぐに必要とされ資金調達に一番いいと思った。

でも僕はやりたくなかった。

ただ、単純にもうその系列に入ることはないだろうと思っていただけといえばそうなんだけど、ほんとにこれは奥の手だった。

でも僕にはもう迷っている時間はなかった。

全力で動いて今できるベストをやりきるのみ。

だからすぐ電話した。

「超短期なんですけど働かせてください!」

タイミング的には11月半ばから12月頭くらい。

居酒屋のピークは12月だ。

人がいるのは間違いない。

超ドピークのタイミングで入った。もちろんすぐに入れた。

ミトゥにはちょっと稼いでくるよと伝えた。

その中でもどんな店にするかとずっとイメージしていたし、電話で話していた。

嫌だ嫌だと思って入った居酒屋では、今も繋がっている友とたくさん出逢った。

あの時のあの判断がなかったら今はない。

そんなことの積み重ねだけど、この時の出会いもそうだった。

嫌だと思ってみても、自分の心に嘘をつかずに行動し続けていると、天が味方する。

僕はそれを肌で感じた。

それくらい大切な出会いが詰まっていた。

そしてなぜか僕はその店でキャッチだった笑

はじめてのキャッチだったけど、やってみるとすごく楽しかった。

何事も経験してみないと、どうなのかはわからない。

そしてキャッキャキャッキャ楽しく働いて、新年を迎えた。

ミトゥは毎年新年はNYで新年を越すという。

今年も行ってくると言っていたので送り出した。

自分は今ここ、全速力だ。

そしてそんなミトゥが帰ってきて会った最初のミーティングですごいことを聞かされた。

「リョー、照り焼きのお店をやらないか?」

まだまだ物語は止まらない。


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